ストレイト・ストーリー
- 監督:デイヴィッド・リンチ
- 公開年:1999年
- 製作国:アメリカ・フランス
- 上映時間:111分
73歳のアルヴィン・ストレイトは、アメリカ・アイオワ州ローレンスで娘のローズと暮らしている。ある日、仲違いして口をきかなくなっていた76歳の兄のライルが心臓発作で倒れたとの知らせが入り、アルヴィンは兄に会いに行くことを決意する。ライルの住むウィスコンシン州マウント・ザイオンまでは560キロ。車であれば一日の距離だが、アルヴィンは運転免許を持っていない。しかし、自分の力で会いに行くと決めたアルヴィンは周囲の反対に耳も貸さず、たったひとり、時速わずか8キロのトラクターに乗り、旅に出る。
見どころ
『イレイザーヘッド』や『ツイン・ピークス』など、難解で不条理な悪夢的映像を得意とするデヴィッド・リンチ監督が、実話を元にG指定(全年齢対象)で撮り上げた本作。彼のフィルモグラフィーの中では極めて異端でありながら、最もストレートに胸を打つ、奇跡のようなロードムービーだ。
効率を手放すことで見えてくる風景
時速8キロという速度は、現代のスピード感からすれば狂気の沙汰に近い。次々と大型トラックに追い抜かれながら、アルヴィンのトラクターはマイペースに、そしてひたむきに進んでいく。
しかし、この「遅さ」こそが本作の最大の魅力だ。画面いっぱいに広がるアメリカ中西部のとうもろこし畑、夕暮れの空の色、雨の匂い。ファスト映画や倍速視聴が当たり前になった今、この映画が提示する「ゆっくりと風景を味わう時間」は、究極の贅沢にすら思える。
また、旅の途中で出会う人々との対話も、この遅さがもたらす貴重な副産物だ。本作における回想シーンは、すべて「対話のみ」で完結する。現代の映画であれば映像として挿入されるであろう過去の描写が、ここには一切ない。それでも情景が鮮明に思い起こされるのは、俳優たちの豊かな表情と、効率を手放したことで見えてくる余白の風景が、見事にリンクしているからだろう。
スクリーンに広がる原風景と、計算された「間」の美学
映像美と音響の構築にも触れておきたい。空撮を交えたアメリカの広大な風景の捉え方は圧巻だ。ちっぽけなトラクターがじりじりと進むロングショットは、人間の営みの小ささと、それでも前に進むことの尊さを同時に映し出している。
そして、アコースティック・ギターを基調としたサウンドトラック。エンジンの単調な駆動音と、優しく爪弾かれるギターの旋律が重なる心地よいリズムは、観る者の心拍数すらも穏やかに整えてくれるようだ。
兄を赦すために必要な「時間」
なぜアルヴィンは、誰かに車を出してもらったり、バスに乗ったりしなかったのか。それは単に免許がないからという物理的な理由だけでなく、10年以上も絶縁状態だった兄・ライルとの関係を修復するためには、時速8キロで進む「時間」そのものが必要だったからではないだろうか。
その道のりでの家出少女との出会いや、人々の優しさに触れることで、彼は相手だけでなく、自分自身をも深く見つめ直していく。プライドを捨て、過去のしこりを少しずつ消化しながら、自らの力で一歩ずつ距離を縮める。その過程こそが、彼にとっての贖罪であり、祈りだった。
結び
ラストシーン、満天の星空の下で交わされる言葉の少なさに、映画という表現の真髄を見た気がする。
スピードや効率ばかりが求められる日常に少し疲れた時、温かいコーヒーを淹れて、アルヴィンと一緒にゆっくりと星空を見上げたくなる。そんな、人生の傍らにずっと置いておきたい1本だ。

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