『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』 「照明」を手放す勇気と、手持ちカメラが捉えた奇跡の体温

映画レビュー

ザ・ピーナッツバター・ファルコン

★★★★★★★★★★3.9
  • 監督:タイラー・ニルソン/マイケル・シュワルツ
  • 公開年:2019年
  • 製作国:アメリカ
  • 上映時間:97分

養護施設で暮らすダウン症のザックは、子どもの頃からの夢だったプロレスラーの養成学校に入るため施設を脱走する。兄を亡くして孤独な日々を送る漁師のタイラーは、他人の獲物を盗んでいたことがバレたことから、ボートでの逃亡を図る。そんなタイラーと偶然に出会ったザック、そしてザックを捜すためにやってきた施設の看護師エレノアも加わり、3人はザックのためにある目的地へと向かう。

見どころ

全く交わるはずのなかった二人が、アメリカ南部の湿地帯をイカダで下る『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』は、現代版「ハックルベリー・フィンの冒険」と呼ぶにふさわしいロードムービーだ。

超大作が1フレーム単位でCGを作り込み、完璧なライティングで役者を照らす現代において、本作はあえてその「完璧さ」を手放している。 今回は、本作がどうやってこの「嘘のない泥臭さと体温」をスクリーンに焼き付けたのか、その技術的・演出的な裏側に迫りたい。

自然光」という最も美しく、最も厄介な照明

本作の映像美を語る上で欠かせないのが、アメリカ南部の自然が織りなす光の表現だ。

映像制作の現場にいる人間なら誰しも、屋外ロケにおける「太陽光」の厄介さを知っているだろう。雲ひとつで露出が変わり、数分単位で影の長さが変わる。シーンの繋がりを保つために、本来なら巨大な照明機材やレフ板で光をコントロールしたくなるのが制作者の性だ。

しかし、本作はあえて大掛かりな人工照明を避け、水面に反射するギラギラとした太陽や、夕暮れ時の「マジックアワー」の柔らかい自然光をそのまま生かしている。 照明部がコントロールできない「不確実な光」をあえて受け入れることで、二人の旅が作り物ではない、本物のドキュメンタリーのような生々しさと美しさを獲得しているのだ。

手持ちカメラが作り出す「共犯関係」

二人の道中を捉えるカメラワークにも、明確な意図が感じられる。 本作では、三脚やレールを使ったカッチリとしたフィックス映像よりも、カメラマンが直接カメラを抱えて被写体を追う「手持ちカメラ」のショットが非常に多い。

特に、二人がイカダの上で語り合うシーンや、森の中を歩くシーン。カメラは常に彼らと同じ目線の高さにあり、歩幅に合わせて微細に揺れている。 客観的に彼らを遠くから傍観するのではなく、観客自身も「三人目の仲間」として、泥にまみれながら一緒に旅をしているような没入感。このカメラの微細な揺れこそが、インディーズ映画ならではの強烈な「共犯関係」を生み出している。

演技を超えた奇跡

主演のシャイア・ラブーフと、ダウン症の俳優ザック・ゴッツァーゲンのやり取りには、明らかに台本を超えた即興の瞬間が多々見受けられる。通常の映画編集なら、テンポを良くするために不要な間や小さな笑いをカットしてしまいがちだ。 しかし本作の編集は、二人の間に流れる「ふとした沈黙」や「素の笑顔」を、あえて少し長めにタイムラインに残している。効率の良いカット割りよりも、二人の魂が触れ合った瞬間の「奇跡」を優先したこの編集の優しさが、観客の涙腺を静かに刺激する。

結び

『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』は、技術的に見れば「完璧にコントロールされた映画」ではないかもしれない。光は移ろい、カメラは揺れ、予定調和ではない間が存在する。

しかし、計算され尽くしたVFX大作では決して味わえない「人間の体温」と「土の匂い」が、この不完全な映像の中には確かに息づいている。映像の美しさとは、解像度の高さや完璧なライティングだけではない。そのフレームの中に「本物の瞬間」が写っているかどうか。本作は、映像制作に関わる者にとって、最も大切でピュアな真実を思い出させてくれる一作だ。

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